COVID-19ワクチン副反応

新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)感染症であるCOVID-19のmRNAワクチン(以下コロナワクチン)も5回目接種が終了、今年からは高齢者に年1回接種が予定されています。接種を受けるにあたり誰でも心配なのはワクチンの副反応です。一般的には副反応は若年者に多く高齢者に少ないとされます。高齢者である私も5回接種を受けましたが注射部位の痛みのみでした。しかし周囲の若い人には発熱、倦怠感、手を上げられない、頭痛、筋肉痛、関節痛などの副反応が見られた人が多くいました。一方、当院に入院中の超高齢の寝たきり患者さんでは副反応はありませんでした。しかし自宅で生活している高齢者の中には副反応が見られた人もいました。すなわちコロナワクチンの副反応には年齢だけでなく個人の生活様式、基礎疾患の有無など多くの免疫学的因子が関与しています。今回はコロナワクチンの副反応を中心に記載してみます。なおコロナワクチンの副反応にはアレルギー反応であるアナフィラキシーがありますが今回は除外致します。

 

コロナワクチンの副反応は何故起こるでしょうか?コロナワクチンはSARS-CoV-2のスパイク蛋白質(以下S蛋白)の遺伝子情報を含んだmRNAと、その周囲を取り囲む脂質ナノ粒子からなり人体にとっては外来抗原です。コロナワクチン接種によりワクチンのmRNA、形成されたS蛋白質が獲得免疫の司令塔であるヘルパーT細胞を活性化、ヘルパーT細胞のTh1はIL-6などの炎症性サイトカインを分泌、キラーT細胞を活性化、Th2はB細胞に中和抗体産生を指示、COVID-19の発症、重症化を予防します。

高齢者では若年者に較べコロナワクチン接種により誘導されるヘルパーT細胞反応の立ち上がりが遅く持続時間も短いとの報告があります。獲得免疫の司令塔であるヘルパーT細胞の反応が悪いと炎症性サイトカイン分泌が少なくT細胞の活性化も減弱、中和抗体産生も低下すると考えられます。一方、女性では高齢者と逆にコロナワクチンの副反応が多いのですが、この理由としてエストロゲンが炎症性サイトカイン分泌を増やしT細胞活性を高める為とされています。以上よりコロナワクチンの副反応は接種による炎症性サイトカイン分泌の増大、T細胞の活性化によると考えられます。すなわち接種が本来の目的以外のネガティブな反応を引き起こしているのです。高齢者で副反応が少ないのはこの免疫反応が減弱しているからです。コロナワクチンによる免疫反応が過度に亢進すると炎症性サイトカイン分泌が増大、活性化したT細胞による組織障害、血栓形成、自己抗体産生が亢進、副反応が重篤化すると考えられます。以上よりコロナワクチン接種後は体の中で様々な反応が起きていると考えられます。それ故、接種後1-2日間は飲酒、激しい運動、長時間の入浴などを避けることが免疫反応の強い若年―壮年者では必要かと思います。

コロナワクチンの副反応は誰にいつ起こるかは予想できません。同じmRNAワクチンに子宮頸ガンワクチンがあります。子宮頸ガンワクチンでも多くの副反応が報告され日本では2013年に定期接種の積極的勧奨が中止されました。その後、数多くの安全性に関する知見が得られた為、2022年から再開されています。その結果、ワクチンを継続していた欧米では子宮頸ガンが激減しているのに対し日本では逆に増加、先進7ケ国の中での子宮頸ガンの罹患率はワースト1位の状態です。これはmRNAワクチンである子宮頸ガンワクチンの有効性を示すものです。COVID-19においても担当した医師は一様にコロナワクチンの有効性を実感しております。すなわちコロナワクチン接種者は発症しても重症化しにくく、亡くならないと言います。

コロナワクチンによる中和抗体は6ケ月間持続するとされます。その期間中に感染すると感染したSARS-CoV-2に対する自然抗体も産生されます。自然抗体の持続時間は3-6ケ月とされコロナワクチンによる中和抗体よりも発症予防効果が弱いとされています。しかし自然抗体と中和抗体を持つ人が増えるとCOVID-19の発症・重症化の予防が強化され社会全体のCOVID-19に対する免疫力が増強、集団免疫が成立して行くと考えられます。

今後もSARS-CoV-2は変異を繰り返し毒性の強い新型が発生する可能性は大と考えられます。免疫力が強い若年者では基礎疾患がない限り重症化する確率は低いので副反応を考えるとコロナワクチン接種は強制できません。しかし周囲への感染拡大、社会全体の免疫力を考えると接種は推奨されても良いと思います。一方、免疫反応の低下した高齢者でもコロナワクチンの発症予防効果は9割とされています。それ故、これまでコロナワクチン接種で副反応がなかった高齢者は逆に自分は免疫力が低下していると考え積極的にコロナワクチン接種を受けることも必要かと思います。

(令和5年3月1日)