ウィルス感染と遺伝的耐性

COVID-19は診断、治療が進歩した現在でも終息する気配はありません。COVID-19の発生状況を見ていると家庭内にCOVID-19が発生しても感染しない人がいます。更には家族内感染を繰り返す家庭に同居していても一度も感染しない人も存在します。この理由として個人の感染予防対策、免疫力、ワクチン接種歴、ウィルスの強さなどだけでは説明できない因子があると考えたくなります。最近、遺伝的にHIVに感染しない人がいるとの講演を拝聴しました。HIV感染に対し遺伝的耐性を持っている人がいるとのことです。今回はウィルス感染と遺伝的耐性についてHIVを中心に記述してみます。

 

リンパ球にはT細胞、B細胞、ナチュラルキラー細胞があります。細胞性免疫で司令塔の役割を果たすT細胞にはCD4+T細胞とCD8+T細胞があります。CD4+T細胞は抗体産生を担当するB細胞を助けるCD4+ヘルパーT細胞に、CD8+T細胞はウィルスやガン細胞を攻撃するCD8+キラーT細胞に分化します。しかし感染が慢性化するとCD8+キラーT細胞の活性が弱まりCD4+T細胞の一部がCD4+キラーT細胞となり、ウィルスやガンの免疫応答において重要な役割を果たすようになります。

HIVは主にT細胞のCD4+T細胞に侵入、増殖します。すなわちCD4+T細胞の表面にあるケモカイン受容体5(CCR5)から侵入、CD4+T細胞内で増殖、感染したCD4+T細胞は減り続けて免疫不全となりAIDSを発症します。CCR5はHIV感染においてHIVの侵入ゲートになっています。

HIV感染に対して耐性がある人は変異遺伝子であるデルタ32を持っています。すなわち両親からデルタ32を一個ずつ受け継ぐとCCR5は作成されなくなりHIVはCD4+T細胞に侵入不可能になります。HIVに対する耐性です。一方、両親の片方からデルタ32を一個受け継ぐとCCR5に異常が生じHIVはCD4+T細胞に侵入するも細胞内での増殖は遅くなります。HIVに対する弱い耐性で感染後、AIDS発症までの潜伏期間が長くなります。HIVに対する耐性を持つ人は北欧人の10-15%に見られるとされます。その理由として現在は撲滅された天然痘が同じCCR5を利用してCD4+T細胞に侵入していた為との説があります。すなわち天然痘は20世紀まで長い間、欧州を中心に流行していました。その間、欧州を中心とした一部の人達でCCR5の遺伝子配列が変異、天然痘に対する耐性を獲得、この人達の子孫が同じCCR5を介して感染するHIVに対して耐性を持つようになったとする説です。現在、CCR5へのHIV侵入を阻止するCCR5阻害薬であるマラビロクが他の抗ウィルス薬と併用してHIV治療に使用されています。

特定のウィルス感染に遺伝的耐性を持つ人はごく少数と考えられます。しかし天然痘、HIVなど致死率の高いウィルス感染症で見られることよりCOVID-19でも遺伝的耐性を持つ人が存在する可能性が否定できないと思います。SARS-CoV-2はACE2受容体に結合して細胞内に侵入、感染が成立します。ACE2受容体を作る遺伝子、もしくは発現を制御する遺伝子に変異がある人がSARS-CoV-2に遺伝的耐性があるのかも知れません。

SARS-CoV-2は遺伝子変異を繰り返し、変異株が免疫機構を回避、感染拡大の原因となっています。また変異遺伝子があるとガン、神経難病を発症する可能性も高くなります。その為、遺伝子変異は健康にはマイナスのイメージがありました。しかしウィルス感染の歴史を調べて見ると致死率が高いウィルス感染症の持続により極少数の人では感染防御の遺伝子変異が起こり、受け継がれた変異遺伝子が新規のウィルス感染症拡大防止に寄与していた可能性もあるようです。HIV,天然痘以外、ノロウィルス、マラリアでも感染を防御する遺伝子が報告されています。しかし遺伝子とウィルス感染の相互作用は複雑です。COVID-19患者の遺伝子を調べた研究ではCOVID-19の重症化に関与する遺伝子変異が報告されています。

最近のゲノム編集技術の進歩によりHIV感染、ガン領域では細胞を採取、関与する遺伝子にゲノム編集を加えて再び体内に戻すゲノム治療が施されています。この領域の研究が今後、SARS-CoV-2を始めとする新たなウィルス感染症の予防、治療に繋がる可能性が期待されます。

(令和6年1月29日)