冬に流行する感染性胃腸炎、特に集団食中毒の大部分はノロウィルス感染症です。昔、山形県のホテルでノロウィルスによる集団食中毒が発生、ホテルは指導を受けて食品・衛生管理を徹底、厨房も最新式に改装しました。しかし、その後また同ホテルでノロウィルス集団感染が起きています。当時、この件につき感染症専門の先生に質問したところ「ノロウィルス感染症は食品・衛生管理に注意しても設備を直しても、起きる時には起きるものだよ」との「諦めにも似た答え」に釈然としなかったのを覚えています。
私が子供の頃はノロウィルスとの言葉はありませんでした。すなわちノロウィルスの歴史は比較的新しいのです。昭和43年、米国オハイオ州ノーウォークの小学校で急性胃腸炎が集団発生、児童の糞便からウィルスが検出され、地名からノーウォークウィルスと呼ばれました。昭和47年、電子顕微鏡でこのウィルスが小型球形ウィルスの一種と判明、平成14年8月の国際ウィルス学会でノロウィルスという正式名称が決定されています。
ノロウィルスの感染経路は経口感染です。感染力が強く10-100個のウィルスでも感染が成立、感染は乳幼児から高齢者までの全年齢層に見られます。原因としてはノロウィルスに汚染された生牡蠣、飲料水を摂取することがよく知られています。余談になりますが20-30年前の研究会後の懇親会では殻付生牡蠣がオードブルとして定番でしたが最近は全く見かけなくなりました。理由としてノロウィルス感染の可能性を考え好きでも食べる人が減ったこと、ホテル側の食材リスク管理の徹底化が考えられます。食物、飲料水以外の感染経路として感染者の嘔吐物を浴びる飛沫感染、嘔吐物の処理時、手指が汚染されて起こる接触感染、残留嘔吐物・排泄物等が乾燥、空気中に浮遊して感染する飛沫核感染があります。
しかし最近ではノロウィルス感染の別経路が注目されています。ノロウィルスは感染後、人の小腸粘膜で増殖、便中に排出されます。感染した場合の発症率は30-50%ですが症状のない不顕性感染者の便にも発症者と同じ位のノロウィルスが7-10日、最長1ケ月にわたり排出されるのです。ノロウィルスにはワクチンがなく感染により抗体ができてもすぐ消失するので長期間、便にノロウィルスを排出している不顕性感染者がいると考えられています。不顕性感染者が排便後よく手を洗わないと触れた個所、例えばドアノブ、水道栓、冷蔵庫、食器棚、ライター、パソコンのキーボード、ゲ-ムセンターの操作器具、パチンコ玉、スポーツジムの器具等がノロウィルスに汚染されます。汚染個所に付着したウィルスは約14日間死滅しないとされています。ここにノロウィルス集団感染が防げない最大の理由があります。すなわちウィルスが付着した個所に健常者が触れ、手をよく洗わないで食事、又は喫煙など手を口に触れる行為をすると感染が成立するのです。ホテル、レストラン等の調理者が感染すると食材が感染、集団食中毒が発生します。マスコミ報道を見ても集団調理によるノロウィルス集団感染時、発症者のみならず調理者の便からも頻回にノロウィルスが検出されています。
調理者のノロウィルス感染を防ぐには調理者がノロウィルス感染の機序を理解することです。冬場にはノロウィルス感染の原因となる生牡蠣等の食材は食べない、加熱した食品を食べる、不特定多数の人が出入りするハイリスクゾーンには近づかない、外出・トイレ後の厳重な手洗い、手を口に触れないが最低限必要です。調理場においては調理者を含む関係者の徹底した手洗い・手指消毒、調理・配膳時の清潔な手袋・マスクの着用、調理器具の洗浄・熱湯消毒、厨房内のドアノブ・冷蔵庫・専用トイレ等の次亜塩素酸ナトリウムによる消毒が重要です。健康管理では調理者の健康状態の頻回なチェック、定期的な糞便ノロウィルス検査以外に嘔吐、下痢等の症状があれば直ちに出勤停止とノロウィルス抗原検査を行い、検査が陽性の場合は陰性になるまでの出勤停止を継続することが必要となります。
ノロウィルスに感染すると0.5-2日後、ウィルスは小腸上皮細胞で増殖、上皮細胞脱落により消化管運動が低下、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛、発熱が出現しますが1-2日で改善します。すなわち症状の改善が速いので家庭内で起こる胃腸炎の中にもノロウィルス感染症が存在している可能性があり注意が必要です。発症した場合は経口保水液等による水分補給以外特別な治療はありませんが、乳幼児、高齢者では嘔吐により誤嚥性肺炎を併発、重症化することがあります。
ノロウィルス感染対策マニュアルの整備された現在、注意すべきは家庭、飲食店等の不顕性感染した調理者による食材感染です。調理者の顕性・不顕性感染者との直接・間接接触による感染の機会は至る所にあり調理者が不顕性感染した場合、食材の感染予防は難しくなります。現代は外食の機会が飛躍的に増えており、高齢者をターゲットにした宅配サービスも発達しています。しかし時に冬場にマスクなし、素手で調理している厨房も見られます。和食と言う日本文化固有の問題もありますが集団感染予防の為には食品取扱者、更には国民全体がノロウィルス感染機序を理解し、外出、トイレ後等の正しい手洗いを励行することが基本と思います。