HIVとCOVID-19

ウィルス感染を防御する免疫機構には自然免疫と獲得免疫があります。自然免疫はウィルスに対する最初の防御機構です。ウィルスが自然免疫を突破した場合、ウィルスを排除するのが獲得免疫です。獲得免疫の中で重要な役割を果たすのがT細胞です。T細胞にはヘルパーT細胞、キラーT細胞、メモリーT細胞などがあることは以前も記載しました。T細胞の中でもヘルパーT細胞は免疫の司令官の役割を果たしています。ヘルパーT細胞にはB細胞を主体に液性免疫を活性化するヘルパーT2細胞、キラーT細胞を主体に細胞性免疫を活性化するヘルパーT1細胞があります。ヘルパーT細胞に侵入、感染するのがヒト免疫不全ウィルス(以下HIV)です。HIVに感染、感染が持続するとヘルパーT細胞は消失、液性免疫、細胞性免疫からなる獲得免疫は破壊され、後天性免疫不全症候群(以下AIDS)を発症します。今回はHIVを中心にCOVID-19についても記載してみます。

 

昭和57年11月、米国心臓病学会に参加した際、当時、米国で病理解剖に従事していた弟に「最近、西海岸、ニューヨークなどの大都市で原因不明の奇病が発生している。同性愛の若い男性に発症、カリニ肺炎、カポジ肉腫などを併発して死亡する。病理解剖はこれまで経験のない所見であり学会でトピックになっている」と言われたのを今も覚えています。しかし当時は「同性愛の若い男性、カリニ肺炎、カポジ肉腫」などのキーワード、更には米国での話であり自分には関係のない遠い世界の出来事と受け止めていました。この奇病は翌年、HIV感染によるAIDSと判明、その3年後、私がカリニ肺炎を併発した米国人AIDS患者の主治医団になった時には何かの因縁を感じ、またAIDS拡散の早さに愕然としたものです。しかし現在のCOVID-19感染拡大の早さに較べると粘膜、血液感染が原因のAIDS拡散は遅かったとも思います。

HIVに感染すると初期にはヘルパーT1細胞を司令官とする細胞性免疫がHIVを攻撃します。しかしHIVは攻撃を受けながらも2年から10数年かけて徐々に増殖(潜伏期間)、ヘルパーT細胞は破壊されAIDSを発症します。AIDSになると健常人では発症することのないカリニ肺炎、サイトメガロウィルス肺炎などの日和見感染、カポジ肉腫、悪性リンパ腫などの悪性腫瘍などを併発、死亡します。

当初は不治の病と考えられたAIDSですが1987年以降、抗HIV薬が次々と開発され、1996年には多剤併用療法による治療法が確立しました。現在、HIV感染と診断されれば抗HIV薬の多剤併用療法によりHIVの増殖を抑制、通常の日常生活を過ごすことが可能になっております。また感染リスクの高い人には抗HIV薬の曝露前予防内服も行われています。すなわちHIV感染では早期診断、早期治療が重要なのです。しかし抗HIV薬は体内のHIV増殖を抑制するだけなので薬剤は一生服用する必要があります。治療を中断するとHIVの増殖、活性化が起こりAIDS発症の可能性があるからです。なおHIVの感染、防御免疫機構には未だ不明な点も多く現在、HIVに有効なワクチンはありません。

以上、HIVについて記載しましたがCOVID-19の重症化にもT細胞は深く関与しています。COVID-19はウィルス表面のS蛋白の構造変化により気道上皮細胞以外、鼻腔粘膜、腸管、腎臓、血管内皮細胞などに感染、多彩な症状を呈すること、また重症例ではリンパ球が著明に減少することは以前に記載しました。最近、COVID―19がリンパ球であるT細胞に侵入する経路が明らかにされました。またCOVID―19重症例ではキラーT細胞数減少が著明との報告があります。更にはCOVID-19重症例のキラーT細胞数を経時的に測定した研究では、症状が改善するにつれて減少したキラーT細胞数が増加したとされています。以上よりヘルパーT細胞に感染するHIVとは異なりCOVID-19重症例では、キラーT細胞が感染している可能性があると思います。ウィルス攻撃の実行部隊であるキラーT細胞に感染すると細胞性免疫は機能不全に陥り、治癒後もウィルスが体内に潜伏するとも考えられます。COVID-19重症者の中には治癒後、長期間に亘り後遺症に苦しむ人がいます(Long COVID)。この原因の一つとしてキラーT細胞数の持続的減少による細胞性免疫の機能不全があるのかも知れません。しかしCOVID-19重症例ではT細胞に内在するブレーキが効かなくなりT細胞が感染に過剰に反応、重症化するとの報告も見られます。COVID-19重症化におけるT細胞動態の更なる解明が待たれます。

( 令和3年7月5日)