認知症

  認知症は「脳機能低下により記憶、判断力が障害され、自立した日常生活に支障が出ている状態」と定義されます。すなわち認知症は疾患であり、加齢による物忘れとは異なります。認知症は脳血管疾患、高齢による虚弱(フレイル)と共に長年に亘る介護が必要になる3大疾患です。認知症は1970年代までは社会的に疾患としての理解がなく「ボケ」、「痴呆」と言われ、患者さんは世間から隔離され、話題にすることさえもタブー視されていました。この問題を正面から扱ったのが有吉佐和子の小説「恍惚の人」で1972年に出版されると大きな反響を呼び、ベストセラーになっています。当時は現在のような認知症患者さんと家族を支援する社会環境、医療、介護施設等はなく、認知症の患者さんを抱える家族の苦労は想像を絶するものがあったと思います。日本の認知症患者は2012年で462万人ですが2025年には700万人、実に65才以上の高齢者5人に1人が認知症になると推測されております。認知症対策としては1986年、当時の厚生省が痴呆性老人対策本部を設置、2004年には診断名が「痴呆」から「認知症」に変更され、その後も支援制度の充実等が図られてきました。2015年には厚生労働省は超高齢化社会に向けて認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を作成、現在進行中です。認知症は大きくアルツハイマー型と非アルツハイマー型に分類されますが両者の混合型も見られます。混合型は今後増えると予想されています。

 アルツハイマー型は認知症の60%を占めます。成因はアミロイドβ蛋白が脳神経細胞に蓄積、脳神経細胞破壊から神経細胞活動が障害される為です。しかし根本原因は未だ不明です。脳神経細胞の死滅により起こる症状を中核症状と言います。代表的な症状は記憶障害である物忘れです。記憶は記銘、保持、再生の過程からなりますが初期のアルツハイマー型では記銘が出来なくなることが特徴です。すなわち近時に体験したこと自体を忘れ、自覚もなく判断力は障害され、日常生活に支障が出ます。しかし再生は維持されるので過去の記憶は保持されています。患者さんが過去の記憶である誕生日を覚えていても現在の年齢を言えない、直前の行為を忘れて同じことを繰り返すのはその為です。更に進行すると再生も困難になり過去の記憶も失われます。これに対して加齢による物忘れは脳神経細胞、脳血流の減少によるものです。記銘の部分的障害、例えば「少し前、物を置いた場所がわからない」等の症状もありますが主体は再生の部分的障害で、いわゆる「ど忘れ」が起こります。しかし自覚がありヒントで思い出し判断力も正常で、日常生活に支障はありません。アルツハイマー型は進行すると時間、季節、場所、身近な人間関係がわからない等の見当識障害、判断力低下、実行機能障害、更には失語、失認識、失行からなる高次脳機能障害が出現、画像では海馬を中心とする脳の委縮が見られるようになります。また介護で問題になる周辺症状(BPSD)も出現します。精神症状、行動異常からなる周辺症状は患者さんの性格、人間関係、環境等により大きく変わります。精神症状としてはせん妄、幻視、幻覚、抑うつ、行動異常としては興奮、暴力を振るう、睡眠障害、介護への抵抗、徘徊、異食、弄便があります。この時期も過ぎた終末期には身体機能が低下、歩行困難、言語・嚥下障害等から寝たきり状態となります。診断は医師による問診、各種の認知機能検査、同居している家族からの情報、頭部CT・MRI、脳血流SPECT検査等で総合的に判断します。アルツハイマー型の薬物療法にはコリンエステラーゼ阻害薬、NMDA受容体阻害薬、漢方薬、抗精神薬が使用されますが症状が増悪する場合もあり注意が必要です。非薬物療法には認知機能訓練、作業療法、運動療法、音楽療法、回想療法等があります。アルツハイマー型の症状は緩徐に進行しますが、治療は進行を更に遅らせることが主体となります。家族、主治医が本人の状況を理解して適切に対応、ケアーマネージャー、地域包括センター等と連絡を取りながら介護環境を整えることが重要です。

 非アルツハイマー型には変性性と非変性性があります。変性性にはレビー小体型認知症、前頭側頭葉型認知症、非変性性には脳血管性認知症、正常圧水頭症があります。

 レビー小体型認知症は歩行障害、動作緩慢、手足が震える等のパーキンソン様症状、進行性の幻視、認知機能障害を中心とした精神症状が代表的症状です。アルツハイマー型と異なり初期には病識を自覚している人が多いことが特徴です。病理学的には大脳皮質にレビー小体が出現、神経細胞の脱落が見られます。画像的にはアルツハイマー型と異なり脳の委縮は認めない場合が多いとされています。初期症状は幻視、妄想、うつ状態で、特に繰り返して現れる幻視は夜間に多く、本症の中核症状とされています。物忘れは症状が進行してから見られる場合が多く診断が遅れる原因となっています。特徴的なのは妄想です。被害妄想、物盗られ妄想、嫉妬妄想、誤認妄想等多彩なのが特徴とされます。入院患者さんからの「物盗られ」の訴えは昔から医療従事者を悩ます問題でしたが今考えるとレビー小体型の患者さんもいたのかもしれません。他の特徴としては症状の変動が大きい、レム睡眠・自律神経障害、薬剤に対する過敏性等が挙げられます。

  前頭側頭葉型認知症は主として前頭葉、側頭葉が委縮して起こる疾患です。発症初期には物忘れがあまり見られず、人格をコントロールする前頭葉の障害の為、自己中心的な人格変化、反社会的行動が目立ち精神疾患と診断されることがあります。すなわち初期には自発性の低下、言語障害、感情鈍麻、嗜好の変化、社会的対人行動の障害、中期には物忘れ、同じ行動を繰り返す、立ち去り行動、後期には意欲の著明な低下から寝たきり状態になります。この認知症は他の認知症とは異なり難病に指定されていますので専門医受診が必要です。しかし初期には物忘れより人格の急激な変化が目立ち、家族の人も認知症とは考えず戸惑っているケースが多いと考えられます。疑わしいと思ったら医療機関、地域包括センターに相談してみることが大切です。

  脳血管性認知症は脳梗塞等の脳血管障害による認知症です。認知症の15-20%を占め脳血管障害後遺症とも言えます。皮質性、単一病変性、皮質下の3型に分類されますが皮質下が過半数を占め、ほとんどがラクナ梗塞、白質病変で障害部位により症状は異なります。認知機能障害は日により変動が大きく、歩行・バランス障害、尿・感情失禁、言語障害等を認めます。この認知症は薬物療法の効果は期待できないので日頃から高血圧、糖尿病、喫煙、脂質異常症、心房細動等に注意して脳血管障害を予防することが重要です。

  正常圧水頭症は脳脊髄液の停滞、吸収には問題がないのに髄液が溜り脳室に拡大して起こる疾患です。症状としては歩行障害、認知機能の低下、排尿障害があります。治療は早期に診断、適応があれば髄液を他の場所に流すシャント術が行われます。認知症症状で受診する脳外科的疾患に慢性硬膜下血腫があります。転倒等による頭部打撲が原因ですが高齢者に多いことより打撲の既往がはっきりしないこともあります。打撲後、数週―数ケ月で症状が出現します。症状としては自発性の低下、食思不振、認知症症状、歩行・言語障害、片麻痺等があります。診断は問診、家族からの情報、頭部CT・MRIによります。血腫が少量の場合は自然に吸収される場合がありますが通常、ドレナージ術が有効です。

 認知症の原因は疾患により様々ですが発症してからは対症療法が主体ですので予防、早期診断、早期介入・治療が重要です。認知症の危険因子として知的行動習慣の低下、教育レベル、中年以降の聴力低下、高血圧症、糖尿病、肥満、喫煙、抑うつ状態、慢性の睡眠・運動・水分不足、社会的孤立等が挙げられています。私の印象では腹七分目の食事、適度の散歩、睡眠等に注意して周囲の人と接し、趣味、社会的活動、旅行等でメリハリのある生活を送っている人は認知症になりにくいようです。食事ではEPA,DHAを多く含む青魚、抗酸化物質を多く含む豆類、ゴマ、野菜、カレー、更には和食・地中海食、野菜、果物、飲料水では緑茶、コーヒー、赤ワイン等が認知症の予防に有効と考えられています。